本音 建前
「本音と建前」という言葉があります。
思っていることを、そのまま口にするのが「本音」。
人前では、別の言葉や態度を選ぶのが「建前」。
大人になると、誰もが一度くらいは、この二つの間で考えたことがあるのではないでしょうか。
ところで、建築の仕事をしていると、「建前」という言葉には、もうひとつの意味があります。
家を建てるときの「建前」です。
柱を立て、梁を架け、最後に棟木を上げる。
いわゆる「上棟」。
私たちにとっては、ごく普通の建築用語です。
でも、改めて考えてみると、
なぜ「上棟」を「建前」と呼ぶのでしょう。
そして、
「本音と建前」の建前と、家を建てる建前は、同じものなのでしょうか。
ちょっと気になってきました。
建前の日に、家が姿を現す
家づくりでは、最初は何もありません。
土地があり、そこに基礎をつくる。
それから柱を立て、梁を架けていく。
一本、また一本と木が組み上がり、やがて屋根の形が見えてくる。
そして棟木が上がる。
それまで図面の中にしかなかった家が、初めて目の前に姿を現します。
建前の日というのは、
「ここに家が建つ」ということが、誰の目にもわかる日
なのかもしれません。
人の「建前」も、外に立っているもの
一方で、人の「建前」はどうでしょう。
心の中では違うことを思っていても、
相手のことを考えて言葉を選ぶ。
その場の空気を壊さないようにする。
仕事だから、言わなければならないこともある。
建前というと、どこか「本当ではないもの」という印象があります。
でも、必ずしも嘘とは限りません。
人と人が一緒に暮らしていくためには、
心の中にあるものを、そのまま全部ぶつけるわけにはいかない。
自分の気持ちと相手との間に、言葉をひとつ置く。
それも、人が長い時間をかけて身につけてきた知恵なのかもしれません。
そう考えると、
本音が内側にあるものなら、
建前は、その外側に立てるもの。
家の「建前」も、まだ内側の仕上がっていない骨組みが、外から見える状態です。
そんなところに、少し似たものを感じます。
そして「建て舞」という言葉
ここからは、少し想像です。
「建前」という言葉を眺めていると、
「建てる」と「舞う」
という言葉を重ねてみたくなります。
「建て舞」。
これは「建前」の本当の語源だということではありません。
ただ、建前の日のことを考えると、なんとなく似合う言葉だと思うのです。
昔から、家を建てるというのは、大きな出来事でした。
木を用意して墨をつける。
大工が一本一本を刻む。
柱を立て、梁を架ける。
何日も、何か月もかけて準備して、
ようやく建前のこの日を迎えるのです。
そして、無事に棟が上がれば、餅をまいたり、酒を振る舞ったりして、その日を祝う。
家族だけではありません。
近所の人も集まることもありました。
その土地で暮らす人たちが、一軒の家が建つことを喜ぶ。
そんな風景があったようです。
だから、
建てて、舞う。
そういう字を当ててみると、
家が建ち上がった日の、人々の喜びが浮かんでくるような気がします。
言葉の中に残る、昔の風景
「本音と建前」。
普段は、人間関係の中で使う言葉です。
でも、建築の「建前」を知っていると、
その言葉の向こうに、柱や梁が立ち上がっていく家の姿が見えてきます。
そして「建て舞」と想像してみると、
棟が上がり、みんなが喜んでいる昔の風景まで浮かんできます。
ただ、ひとつの言葉をきっかけにして、
昔の家づくりや、そこに暮らした人たちの姿を想像してみる。
そうすると、普段何気なく使っている言葉が、少しだけ違って見えてきます。
「本音と建前」。
その「建前」の向こうには、
一本の柱を立て、家を建て、そしてその完成をみんなで喜んだ人たちの姿があったのかもしれません。
今日はそんな「建前」という言葉から、昔の家づくりを想像してみました。